小説「何者」感想 周りに流されたままの就活生にはなりたくないし、我は阿呆なり。
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鹿児島で朝井リョウさんの講演があり、恥ずかしながら「桐島、部活やめるってよ」と「何者」を公演ぎりぎりまでに読み終わって挑んだのですが、この「何者」がかなりダイレクトに心に来たので、感想書きます。
俺、隆良になりかけてたあぶねー
登場人物の中に”隆良”って
「就職するって自分ひとりじゃ生きていけない道を選んでるってことだよな。」
「(就活の雰囲気に)流されるんじゃなくて、俺は俺で、生きていきたいから。」
って就活に否定的な感情を持ってることを口に出すキャラがいるんです。。
聞かれてもいないのにそれを語りだしたり、難しそうな本持ってるのに読んでなかったり、なんでも「興味深い」ってツイッターに書くっていう、ドストレート意識高い系ですが、ぼくはよんでて心が痛かったです。
なぜか、
就活の時がきたらこんなこと語ろうか考えてたから(笑)
ぼくもあまり就活に価値を見出せなくて、どうにかその時までに就活!面接!やらなくていいくらいの実力つけるつもりだったので、
就活メンバーから「お前も就活しろよ」とか、「現実と向き合え」っていうドリームキラー的人たちに言われた場合の対策考えてたら、こんな感じの事言うつもりだった(笑)
あとは就活とか、会社勤め否定派な人たちのブログ観た影響も大きい。
実際いうと、高校の時も工業系だったので、就職を視野にいれた性格検査みたいなのを授業でやったんですよ。
それで出た結果は、「社会不適合者」
直接そうとは書いてないけど、遠回しにそんなこと書いてありました。
ぼくの紙見た友達がその結果観て「こういう人って社会に適さない」って言いましたし。
いまでもそういった結果が出るかはわかりませんがぼく自身、そういうところ自覚してて、会社務めたくねーなって思ってたりして。
定時に帰る度胸もないし。
まあ、とりあえずこれ読んだので、個人の考えは心にしまっておこうと。
別に喧嘩するために勉強してんじゃないもんね。
周りに流された就活生にはなりたくない。
上に書いた隆良も似たようなこと言ってて、結局最後はきちんと就活、就職について考えた就活メンバーに論破されるのですが、
ぼくは別に就活についてきちんと考えた人はそれでいいと思うんです。自分と向き合ったんですから。
嫌なのは、周りに流されたまま就活生になった人。
そうして、
周りに流されて
就活して
夢でもない会社に就職して、
年をとって
夢を目指す若者に「現実見ろよ」
っていう大人にはなりたくないですね。
なりたくないって思うのは、なる可能性があるからです。
基本親や周りのいうこと聞いて、やりたいこと押さえてやりたくないことばかりやってきたかなと。
でも、もうそんなのはうんざり。
だから、流される人にも流す人にもなりたくない。
きちんと自分がどう在りたいのか、キチンと押さえておきたいとおもいます。
我は阿呆なり
この小説を読んだら、
自分が何者なのか、何者でいいのか、何者かにならないといけないのか、何者にもなってはいけないのか、
答えづらい質問が次々沸きます。
これは朝井リョウ先生も「あなたは何者ですか?」と聞かれると困るらしく、いろいろ考えて「詐欺師」って言うと、理由を話しても妙な雰囲気になるので考え直すのだとか。
つまり、自分で決めてもイイじゃんってことで、考えてスンナリ出てきた言葉は
「阿呆」
でした。
もちろん理由はあって、森見登美彦さんの小説が主に影響してますが、
阿呆って自覚すると、行動範囲広がるんですよ。
別に意識高く見せる必要もなく、
脈絡のないことを急に始めたり、
昨日正しいと思ってたものを次の日には「違うかも」と言える。
周りからみたらどう表現されるかわかりませんが、自分の中では「阿呆」の言葉に集約できる。
変にカッコつけないし、間違いは素直に認められるし、周りの評価は気にしない。
「あの人また阿呆なことやってる」って誉め言葉。
阿呆万能説ですね。
しかし実際、真剣にふざけるネタ大好きで、中学でよくそういうことしてたので、もしかしたらホンマもんのアホかもしれないです。
なんで、しばらくは「あなたは何者」っていう質問には「我は阿呆なり」と答えようと思います。
これは人に話すとどんな空気になるのだろう???
まとめ
就活に対する思いと自己紹介でした。
自分が「何者」か。
それは
自分がどう在りたいか
にもつながると思います。
スッキリと自分を表現できる言葉を見つけられるといいですね!
ではでは!