【読書】「日本を捨てよ」苫米地英人 息の詰まる日本の一億相監視役社会の正体

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何かと息が詰まる世の中ですねぇ。
少しのミスも許されず、一度失敗したら再起はほぼ不可能。
なんて生きづらい社会なんでしょう。
 
そんな日本の現状を解説した苫米地 英人さんの「日本を捨てよ」
日本人は儒教に基づき互いに監視しあう相互監視の社会で成り立っていると言います。
それは一体どういうことか!?
本書のネタバレにならない範囲で語っていきます。

日本人はバリバリの儒教信者

日本人は無宗教の人が多いと言います。仮に家が「何かしらのなんとか宗」かもしれませんが、普段はほとんど意識しない人がほとんどです。
テレビではたまに「神社に行くあなたは仏教徒!」なんて言いますが、それは全くの間違い。日本人が属している(影響されている)宗教は儒教です。
 
儒教とは過去に朝鮮から「仏教」として入ってきました。歴史の授業で習ったとおりなら「日本人は古くは仏教徒だったのかぁ」と考えてしまいますが、日本に伝わる過程で仏教の中身は儒教にすり替わってしまいました。
儒教とは孔子を開祖とする思想で、宗教の一種でもあり同時に倫理思想でもあります。
僕らはまったく儒教について教えられたことはありませんが、「社会の常識」「学校教育」といった形でその儒教の教えに触れています。特に日本人に悪影響がある儒教の教えが
  1.  いかなる時も勝手に行動せず
  2. 「お上」の決定に従うべし
子供のころから「大人の言う事を聞け!」と聞かされ、育って行けば、デモや暴動の起きない国の出来上がりです。
まさに日本は儒教の国でしょう?「日本は無宗教なのに秩序がある!」といっても、思いっきり儒教の教えに基づいています。
そして日本人は従順な奴隷として不満のために立ち上がる力さえ奪われたのです。
 
さらに村八分のシステムによって、日本は相互監視社会へと変貌を遂げました。
日本人は下手すると倫理のために命を落とす可能性さえ出てきたと苫米地さんは言うのです。
 

生命の危険より周りの目

東日本大震災が起こったとき、外国人は日本人を見て驚きました。
食料を我先にと求め争わず、暴動も起こさず静かに配給が来るのを待ちました。
さらには火事場泥棒さえいないようで、震災後の街で落ちていたサイフはキチンと警察に届けられていたそうです。
一見すると美徳な話のように聞こえますが、食料を求め争わなかったのも、火事場泥棒しなかったのも、全ては他人の目を気にしていたから出来なかったのではないかという事です。
震災が起きた場合、命を守るためには火事場泥棒が止む終えない場合があります。実際、法律でもこうした緊急事態では犯罪にならないのです。

ご老人や栄養の必要な赤ちゃんが栄養不足で生命の危険に晒されたとき、もしデパートの中で避難していたら、隣にある食料品を開けてそれを食べる、食べさせる事ができますか?
極限状態であれば可能かもしれません。しかしリスキーな行動です。
 
もし誰か一人でも
「それは火事場泥棒だ。自分は食べないぞ」
と言えば、、、
 
その場にいる人全員が「食べない」という選択を取るどころか、事態が落ち着いてから
あいつは火事場泥棒して助かろうとしていた
なんてウワサをたてられかねません。
これは十分にありえる話です。
 
過度に人の目を恐れ、村八分になることを恐怖した人々は、互いに互いを監視するようになります。「俺は倫理を守ってんだからお前も守れよ!」と言わんばかりに。
やがては「お天道様は見てる」なんて脅し文句まで出てきます。
 
自らを律するだけならまだしも、互いを監視しあい、すこしでも怪しければ村八分。
日本人は儒教に従順な奴隷になってしまったのです。
 

日本が好きなら突き放す

おとなしすぎて従順な奴隷になってしまった日本人。
著者の苫米地さんは海外各地を飛び回っているので、「文句言うなら日本から出てけ!」なんて暴論が出てもそれに応えることができます。
でも大抵の人には無理!日本の悪い面が分かってたって、日本で住むしかない人は大勢います。逆に言うとだから日本の悪い部分を見つけてしまうんですね。住みよい日本を作りたいから。
 
日本の問題を解決するとき、その解決策となるのは「日本を突き放す事」です。
一度日本から離れる、距離をとるのがいいです。
 
なぜかというと、日本にある問題を考察し突き詰めていくと、どんどんスコトーマ(心理的盲点)がうまれ、結果として良い解決策が浮かばなくなるのです。
苫米地さんの本をいくつか読めば分かりますが、スコトーマが生まれる思考は抽象度が低い思考なのです。
 
抽象度が低いという事は、具体的ということてすが、視野が狭いということもあり、選択肢が限られていきます。
 
抽象度の高い思考は俯瞰して考える思考です。全体を見通す必要がありますから、日本全体をみるのはもちろん、世界だって視野に入れる必要がある。
 
そうすると自然と日本との距離が遠ざかります。
本気で日本を救いたいのなら、日本と距離を起き、高い抽象度で物事を考えてみましょうと言うことです。
 

まとめ

どうだったでしょうか?
日本の息苦しさには相互監視社会に加え、無気力な人々という点もありますが、詳しくは本書でご確認ください。
 
この日本の問題は根の深い問題で、正直自分だけで解決できるものじゃないし、明日から息苦しさがなくなるなんて単純なものでもありません。逆に目立つ行為をすれば村八分にされる危険性さえあります。
 
この本では「日本を愛するなら日本を捨てよ」という結論なのですが、たしかにそうです。
皆、日本にしがみついているから村八分が怖いのであって、一度海外に出てみれば
「なあんだ、世界は日本だけじゃない」と気づくてしょう。(僕もまだ海外に行ったことはありませんが…)
このまま大人になれば、おとなしい奴隷になる(される)事は間違いないので、在学中に日本を捨てる思考が出来るようになると言いと思います。
 
抽象度が高くなるとワイドショーや一時の炎上騒動なんてどうでも良くなるので、イライラが減ります。みなさんも試してみては!?
 
ではでは!
 

 

「日本」を捨てよ

「日本」を捨てよ