【他人は自分のDNAを映す鏡!】~日本人の9割が知らない遺伝の真実~感想

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どうも嵯架瀬です。

前に「死後の世界がないとしたら…」という記事を書いたのですが、

 

 その延長線で「死んだらすべてが無になるのなら、この世には何を残せるだろう??」と考えました。

 

人間なら本などで情報を残すことができますが、もっと自然の摂理から考えるなら、「DNAを残すことができる!」と思いつきます。

 

しかし、ただDNAを残すだけならイマイチ人生に張りが出ないような気がして、「生きてる間に自分のDNA変えられるんじゃね!?そしたらこの世で頑張っただけ後世に残せるものの価値があげられる!」という発想に至りました。

 

どうやら子を作るときに男性がやせていると子供は「痩せる=餓死してしまう・・・」という情報が刻まれたDNAによって、太りやすくなるらしいです。

 

こうしたささいな事でも遺伝が変わるなら、もっと大掛かりな遺伝変革を行えてもいいはず・・・


1世代で完結と贅沢言わず、せめて自分の1族が発展するスタート地点になれればいい・・・


 

そんなわけで、「人のDNAは変えられるのか?」という疑問から、図書館にあった「日本人の9割が知らない遺伝の真実」を読みました。

 

自分の予想していた内容とはだいぶ違いましたが、新しい切り口でこの疑問に取りかかることが出来そうです。

 

遺伝の影響が出てくるのは大人になってから

実は遺伝の影響が出るのは大人になってからです。 

 

これは大人のなると自動的に起こることでなく、大人になるに連れて様々なことを経験することで、自分の遺伝子の様々な面が表に出てくるのです。 

 

つまり、自分探しの旅も、様々な経験をするという意味であながち間違ったことではないのかもしれません。 

 

(45歳くらいで遺伝の影響が50%) 
 

ここで重要なのは自分にどんな遺伝子が受け継がれているのか、ではなく、どうやって遺伝子を発見するか、と言うことです。 

 

遺伝について話が出ると、ついつい両親を恨みそうになりますが、その段階ではあまり遺伝の影響は出ていないと考えていいです。とくに自分が若い場合には。 

 

むしろ自分の環境が様々な経験をつめる状態にあるかというのが重要です。 

 
 

裕福な家庭に産まれればいろんな経験をつめる可能性が高くなります。 

 

何をするにもある程度のお金が必要だからです。 

 

逆に貧しい家庭で育った場合は、できる経験の選択肢が限られてしまいます。 

 
 

裕福な家庭の親は優秀な遺伝子を持ってるから子も優秀になる(そして裕福になる)のでなく、裕福な家庭の子は遺伝子を発見しやすい環境にあるので、才能を発揮でき、それが優秀と判断されるのだと言えます。 

 
 

日本の学校はその点でまあまあ優秀

日本の学校は、ひとりひとりの個性を削ぎ落として平均化させるイメージがありますが、案外に体育祭、修学旅行や文化祭、場合によっては弁論大会など様々なイベントが用意されています。 

 

それはつまりたくさんの経験が積めるということですから、裕福、貧乏関係なしにチャンスは平等にあると捉えていいでしょう。 

 
 

もちろん、これは遺伝の特徴を捉えて構成されたものではないので、他方で遺伝子学にぞくわない面が存在したりしますが、日本学校の良い面も意識してもらえれば良いかなと思います。 

 
 

教育環境は長期的影響はほぼゼロ

「ちょっとまって!裕福な家庭はいい学校にいくからその分普通じゃできない経験も積めるんじゃないの?」 

 

と思うかもしれません。 

 

たしかに、お金をかけた課外授業があればそこで庶民との差が出るでしょうが、 

 

教育に関してはあまり長期的な影響はないらしいです。 

 
 

つまり、いい学校に行っていい教育を受けたからといってその後の人生が劇的に変わるわけではないのです。 

 

例外として、課外授業がめちゃくちゃあって沢山の体験ができる、良い先生と巡り合って人生変わる、というような場合があるでしょうが、それはほとんどありえない話として処理していいでしょう。 

 
 

実際、一卵性双生児の片方が良い学校、片方がそうでもない学校へ進学しても、将来就く職業や年収はほとんど変わらないそうです。 

 
 

そう考えると、今通ってる学校、昔通ってた学校はその時点での能力の差であって、それによって決定的に将来の能力が決まるわけでもなければ、教育内容によって差が出ることもない。 

 
 

教育機関は誰でもいつでも入学できて卒業できるくらいが遺伝学に即しているのかもしれません。 

 
 

他方、残酷な一面 

様々な経験を積むことで、遺伝の影響がより濃く出てくる。 

日本の教育は全員に均等に経験を積めるチャンスが与えられていて、教育の内容は人生に影響を与えない。 

 
 

そうすると、すべての文化的行いは遺伝子的に人との区別をつけることになります。 

 
 

これは一見本来の自分を見つけられて良いことのように思えますが、遺伝情報は必ずしも現代社会で必要とされたり賞賛の対象にならないものもあります。 

 

なにせ人の持つ能力は膨大な数ありますから、まだ人類の発見できていない役立つ能力もあるかもしれません。 

 

自分の持つ才能が市民権を得たものでない場合はショックでしょうが、今の時代インターネットがあればどんなスキルでも売り込むことができると考えればちょっとは希望が見えそうですね。 

 

まとめ 

 これまでは遺伝子に優劣をつけた考えを持っていましたが、それは間違いでした。 

 

遺伝子にはすべて受け継がれる理由があり、遺伝子を評価するのはその時代に求められる能力次第なのです。 

 

そう思うとどんな遺伝子を受け継いでいようと、それは誇らしいものに思えてきます。 

 

これからは「自分のDNAをどう進化させるか?(進化させれるのか?)」から、「自分の素晴らしい遺伝子を見つけてそれを仕事にしよう!」と思うことにしました。 

 

自分の得意が見つかる➝好きを仕事にする➝裕福になる(足元見られて低賃金で働かされることはまずないから。)➝素敵な異性と結婚する➝子供に様々な経験をさせ、特技を発見する 

 

という好循環のループが出来上がります。 

 

遺伝に関して「言ってはいけない 残酷すぎる真実」という本を読んでいますが、あらかじめこちらの本を読んでいたほうがよさそうですね。 

そのほうが理解しやすく、ダメージも少ないと思います。 

 

遺伝子関しては面白そうな本がいくつかあるので、今後も取り上げていこうと思います。 

 

ではでは!